大阪・習い事<手作り>ナンタケットバスケット教室「ナンタケット ウインド レディ」

~ 世代を超えて受け継がれていく 最高級を編み上げる 至福の時 ラグジュアリーに過ごす ~

「ナンタケットバスケット」は、アメリカ東海岸のケープコッド沖に浮かぶ小さな島「ナンタケット島」で生まれたバスケットです。ナンタケット島まで旅をして、ますますナンタケットの魅力に惹き付けられました。その一部をご紹介します。

ナンタケットバスケットとは

「ナンタケット島」は、アメリカ東海岸のケープコッド沖にあります。

ナンタケット島の風薫る貴婦人たちに心と伝統を学ぶ。


アメリカ東海岸のケープコッド沖に浮かぶ小さな島「ナンタケット島」。そこで生まれた「ナンタケットバスケット」は、ネイティブアメリカンによるバスケット制作の技術をもとに、Jose Formosa Reyes氏が蓋付きのバスケットを考案したことがきっかけとなり、現在見られるナンタケットバスケットのスタイルに定着しました。ナンタケット島へと避暑に訪れる上流階級の女性たちの間で人気を博し、後にオードリーヘップバーンにも愛用されたことから、フォーマルシーンでの使用が唯一認められた籐製バスケットとして人々に知られるようになりました。

18世紀から続く伝統的な技術によって作られるナンタケットバスケット。シンプルでありながら、ひと目で魅了される不思議なバスケットです。

「ナンタケット ウインド レディ」は、伝統的なナンタケットバスケット制作技術を大阪にいながらにして身につけることができ、ご自分の手で作り上げることを楽しんでいただける教室です。最高級バスケットをディリーに持つ特権を!

ナンタケット博物館

ナンタケットライトシップバスケット博物館

●ナンタケットライトシップバスケット博物館

園: 火曜日-土曜日 10:00AM?4:00PM
05/30 戦没将兵記念日(Memorial Day)
10/10 コロンブスデー(Colombus Day)
入場料: 大人 $4.00 子供&シニア $2.00

ライトシップバスケットは、それらを作り、現在まで伝承してきた人々の、精神、巧みな技、豊かな想像力を現す、すばらしい遺産です。博物館を訪れて、その独特で繊細な美術工芸の素晴らしさと、アメリカの伝統文化継承への貢献を発見し、体感してください。ナンタケットライトシップバスケット博物館は、バスケットの今と昔の双方を取り上げています。

展示内容は毎年、変わります。伝説的バスケット作者のJose Formoso Reyes氏のワークショップも常時開催。説明とバスケット制作のデモンストレーションはシーズンを通して行っています。

ナンタケット島の歴史

のちに「ナンタケット」と名づけられる島には、インディアンが原住し、陸に打ち上げられて死んだクジラのオイルや肉をとって生活していました。

1602年:ナンタケット島は、イギリスの海洋家 Bartholomew Gosnold 船長によって発見される。 (インディアンにとっては、「イギリス人が勝手にやってきた」ですね)

1659年:イギリス人の移住が始まり、インディアンは減少していきました。

1690年代:島の居住者たちは、海岸沿いの捕鯨の権利を訴え始める。
近海で捕鯨開始。鯨油が良質のオイルだと分かり、より遠くまで航海へ。

1795年:「ナンタケット」(インディアンの言葉で「遠い土地」という意味)と名付けられました。

1700~1830年代の約100年間、ナンタケットは世界の捕鯨の中心地となり、多いときには150隻の船が港に停泊していました。捕鯨産業が発展し、人口が増えると、民族の多様化も進み、1700年代には、アフリカ系アメリカ人が奴隷として連れてこられました。1770年には奴隷制度が廃止されたにもかかわらず、ナンタケットには厳しい民族差別があったとされています。

1830年代:捕鯨の港として、最盛期を迎える。

数百人が港で働き、捕鯨船に乗った商人が持ち帰った各国からの輸入品が倉庫をいっぱいに満たし、町全体が大きな市場のようでした。

1846年 大火災

灯油が鯨油に代わり、クジラ自体も見つかりにくくなっていく中、大火災により、ナンタケットの港やビジネス地域は崩壊。何千人もの人が家を失い、貧しくなりました。不運にも、「カリフォルニアでの金発見」が重なり、ナンタケットから多くの船とともに、人口の約60%が去っていきました。

1869年 最後の捕鯨船が出航し、帰って来ませんでした。捕鯨に代わり、観光産業が経済の基本となるまで、ナンタケットの経済は衰退。

1872年 人気の避暑地として脚光を浴び始める。

1881年 ナンタケット鉄道が開通する。(1917年まで鉄道の運行は続いた)

ナンタケットは、夏の休暇を過ごす場所として、自然を楽しむ目的で人々が訪れ、宿泊施設などが建てられました。1900年代、夏期休暇制度が一般に広まり、ナンタケットは理想的な避暑地となり、その後も季節を問わず、心地よい宿泊施設や静かな美しい自然を求めて人々がやって来るようになりました。

1900年
1847年に建てられた図書館が、自由に使える公共の図書館としてオープンする。
1918年
ナンタケット鉄道廃止後、初めて車の進入が許される。
1955年
マサチューセッツ州連邦により、ナンタケットの街が歴史的意味のある地域として公認。
1962年
ナンタケットメモリアル空港に、初めてジェット機が降り立つ。
1974年
ナンタケットで初めてスイセン祭りとクリスマスパレードが開催される。
1986年
グレートポイント灯台が、嵐で崩壊後、再建される。
2000年
ナショナルトラストにより、歴史的保護区に指定される。

ナンタケット島雑学

  • ナンタケットという名前は、インディアンの言葉で、「遠く離れた土地」「海の向こうの土地」という意味である。
  • 1602年にナンタケットが発見されたとき、およそ1,500人のアメリカンインディアン(wampanoag族)が住んでいた。
  • 捕鯨で栄えていた時期、ナンタケットはマサチューセッツ州でボストン、サーレムに次ぐ3番目に大きい都市で、人口は一万人ほどだった。
  • 1830年代の石油の発見・鯨油の減少・1849年のカリフォルニアでの金の発見が重なり、捕鯨時代は終了。
  • ピーク時には、88の捕鯨船が世界中を航海し、1800~1840年の間、ナンタケットは世界の捕鯨の中心とされた。
  • 女性初の天文学者である、マリア・ミシェル(彗星の発見者)はナンタケット出身。
  • USA100ドル紙幣に肖像が描かれている、政治家ベンジャミン・フランクリンの母親はナンタケット生まれ。
  • かつて、36のキャンドル工場があった。
  • シンボルとされるパイナップルは、歓迎の意味を持ち、ナンタケットに広がった。
  • かつて、長い捕鯨の航海を終えた主人が南国のフルーツであるパイナップルを持ち帰り、家の前に帰宅の印として飾ったとされている。パイナップルは「主人が帰宅し、ゲストを歓迎する」というサインだった。
  • ブラントポイントは、USAで、ボストンのビーコンポイントに次ぐ、2番目に古い灯台である。
  • ナンタケットは、USAで唯一、島・郡・町が同じ名前の場所である。
  • ナンタケットには、信号・ファーストフードチェーン店のネオンサインがない。
  • グレイの屋根の建物と、たびたび発生する霧により、ナンタケットは愛情を込めて、"Little Grey Lady of the Sea"(海の中の小さな灰色のレディー)と呼ばれている。
  • 島全体が、歴史的に守られる重要な土地として、指定されている。
  • ナンタケットには、歴史的に重要な建物がたくさんあり、その数はマサチューセッツ州で最も多い。
  • ナンタケットには、南北戦争以前に建てられた家が約800棟ある。
  • ナンタケットは、植物の種類が多く、そのほとんどが外国から持ち込まれたものである。(イギリスや日本のハマナスなど)
  • USAのヒース荒野の約1/3がナンタケット島にある。
  • ナンタケットの港やその周辺の海は、11月から3月の間、ホタテが採れることで有名。原始の純粋な海水により、ナンタケットの魚や貝は他に類を見ないおいしさだと言われている。

体験レッスン

ナンタケットバスケット作りが初めての方に、手作りバスケットを作成できるレッスン。材料費とレッスン代を含み大変お得です。

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(13.5×13.5×10.5 高さはハンドル含まず)

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